境界線
人は何かにつけて境界線をひく傾向があると思う。
人間関係であれば、知人・友達・親友・恋人など。
厳格な差があるかと言うとどうなのだろうか。
知人と友達は違うのだろうか。
友達と恋人は違うのだろうか。
仕事とプライベートに境界線をひく人もいる。
それらは混在してはいけないものなのだろうか。
境界線とはパソコンで言うところのフォルダに似ている。
意識レベルでわかりやすいように分類するというものだ。
しかし、入っているフォルダが違ってもそのファイルそのものの性質が変わるわけではない。つまり、友達というフォルダに入っていても恋人の性質を持っている相手だって当然いるだろうし、その逆もまた然り。
ちょうどいまメタ検索というメカニズムがIT業界を席巻しそうな勢いを見せているが、それは人間の意識レベルにも当てはまると思う。
「友達」だの「恋人」だのという言葉(フォルダ)に干渉されることなく、単純に相手(ファイル)の属性・性質(メタ)を適切に判断するのがもっとも合理的と言えるのではないだろうか。
言葉が氾濫する時代であるが、言葉とはあくまでも形骸にすぎない。ものの本質とはその対象物の属性であり性質を指すのであろう。
私は仕事と趣味の境界線が無いのである。
趣味は仕事であり、仕事は趣味だと思っている。
むしろ仕事を仕事と思ってはいない。
それは責任感が無いという意味合いではなく、今やってることがあくまで自発的なものであり、単純に金を得るためだけにやっているわけではないと言うことだ。
なぜ自分は仕事と趣味に境界線が無いのかなと考えたらこんなことを思いました…。
[ 更新:2005-03-17 09:25 ]