長い時を経てようやくたどり着いたようです。
現在、死刑制度を巡り様々な議論があるようで。
基本的に私は死刑に賛成であります。
死刑判決を受けるような人間に人権は無いと思うので。
罪を憎んで人を憎まずと言いますが、罪を犯しても何の刑罰もない世の中を想像してみましょう。
たとえばちょっと前のイラクのひどい惨状をみなさんも記憶していると思いますが、先進国が平和でいられるのも法律や刑罰という規則やルールの下、社会が展開されているからだと思います。極論になりますが、そこから刑罰を取り除いてしまっては、まさに無法地帯になってしまうことは火を見るより明らかでしょう。
と、まあ極論でしたが死刑をやめて終身刑にすることも同じことです。現在の日本では、日本だけではなく世界では多くの人間が貧窮して自殺したりしてますよね。そんな貧困に喘ぐ善良な市民がいる中で、囚人は「税金」の庇護の下、年間200万超という”維持費”の中でのうのうと生活しているわけです。
はてさて、終身刑で死ぬまで牢獄で暮らす人間を善良な市民の税金で生かす必要があるのかどうか。
人の尊厳を踏みにじり、生命を奪取した人間を税金で生かす意味があるのかどうか。
死刑反対派の方々が自費で扶養してくれるならいいんですけど。
今回の山口県光市母子殺害事件のような鬼畜の所業を行った人間は、
報復感情などではなく人間社会において不必要だから死ぬべきだと思います。
いや、不必要ではなく、害をなしてるわけなのでそれよりもタチが悪いですね。
人間は動植物の絶滅や保護に関してはより冷静に判断しますが、こと自分たち人類の事になるとロマンチックになり、感情的になりがちです。生命というもの自体を誇張しより特別なものとして捉えますが、所詮我々も犬や猫と同じ動物です。
例えば飼っている犬の中に一匹、周りの犬をかみ殺すような狂犬が居たとしましょう。
飼っている人間はその犬をどうするでしょうか?害をなすとわかっている狂犬を。
反捕鯨運動を行っている人のように、クジラと魚は違うと言う人間もいるかもしれない。
しかし生命と生命を違うということこそが差別の原点であり、自分を”人間”と奢り高ぶる悪だと私は思う。
人間も犬も猫もクジラも、いつかは土に還るでしょう。
ならば同じ生命として生きているときを一生懸命生きるべきです。
そしてその一生懸命生きている人間の尊厳を貶めるような賊は死を持って償うべきだと私は思います。
私は天国もあの世も霊も信じないので、この判決を受けて亡くなった奥さんとお子さんが喜んでいるというような事はまったく思いませんが、社会からひとり害をなす人間が減り、税金がほんの少しだけ無駄遣いされなくなった事に喜びを禁じえません。
上告されたようなのであと少しは本村さんの闘いは続くと思いますが、陰ながら応援しております。
↓↓山口県光市母子殺害事件に関する鬼畜の所業に関心がある方はぜひ見てみてください↓↓
[ 更新:2008-04-26 03:59:27 ]